普遍の哲学

普遍の哲学

生活を営む中で誰しもが持つ「普遍の哲学」。皆さんも何かお持ちだと思います。自分の根幹・中心軸の支えを「知る」ことはとても大切なことだと考えます。それは特に有名な言葉である必要はなく、座右の銘が必要だというわけでもありません。ただ、「どう生きていますか」と問われた時に胸を張って言えることがあればいいと思うのです。それがその時点でのあなたの「普遍の哲学」ではないでしょうか。

普遍の哲学:デカルトの巻

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心身二元論。心と身体は別々の存在なのか?
脳医学が発達した現代科学の視点をもって17世紀のデカルトを批判するのは容易い。だからといって彼の説を否定するだけの科学的論証が存在するのかと問われれば、無いと言える。愛する人の亡骸にすがりついて号泣する者にとって、心身は一つだろう。だが、死者の心は天国に行ったのだと考える、或いは考えたい者は、心身は二つだとも言える。科学がどれだけ進歩していても、人の心と身体、脳と精神、脳と身体、完全なる理論などまだない。どれもこれも未知数なのである。

ルネ・デカルト(1596-1650)の「われ思ふ、われ在り」。一般的には「われ思ふ、故にわれ在り」が多く、「故に」が入る。恩師曰く、これは厳密には勘違いを呼ぶと。その理由はこうだ。デカルト的懐疑論と言われるように、彼はまず一切の知識を疑ってみることから始めた。目に見える事物、触っている事物を実際に感覚していると人は言うが、それは夢の中のことであり実際ではないかもしれず、従って感覚的知識は疑われる。次に、数学的(科学的)な知識に関しても様々な論争があり誤謬があるため、こちらも疑われるものとなる。

だが、どうしても疑うことのできない事実がひとつだけある。それは、感覚的知識や数学的知識を疑っている「私」がいる、ということである。これをまた疑おうとすると、却ってまた「疑う私の存在」という事実を証明することになる。そして疑うということは考えるということ。一切を疑っても、「われ考える」という事実は疑うことができない。従って、疑っている「私が存在する」。

「ego cogito, ego existo」。彼の確実なる命題。
実際、『方法序説』には「donc, ergo (故に)」が入っている。だがこれだと、思惟するもの(考える)は存在するという前提、そしてデカルトは思惟する(考える)、だから私は存在するという三段論法の道を辿ることになってしまい、そもそも前提として全知識を疑うことをスタートラインとする彼の論には合わない。演繹的帰結はこれには当てはまらないというのが恩師の指摘。

小難しい哲学の論理はさておいたとしても、デカルトの心身二元論は近代哲学の祖と言われ、そして近代科学の始まりを意味した。大きな要素は二つ。一つには、スコラ哲学を代表とする中世の宗教哲学の終わりがある。ルネッサンスのうねりは人間万歳を唱え、中世から近世への橋渡しの役を果たした。そして、それらと軌を一にし、時には入れ替わるように、ヒューマニズムの哲学が到来する。そこにデカルトもいた。

もう一つの要素が先の心身二元論。中世のスコラ哲学に失望したデカルトは、数学や物理学にのめり込むという、そもそも科学的な見地でものを見ていた。あの名言が一人歩きするため、哲学者として認知されることが多いだけだ。そして、心と身体が”別々”であるという認識や考え方は、後の「解剖学」に大きな影響を与えたという。心身一元論の中では、人体を切り刻むということに抵抗があったという。だが、心は身体から解放されているのなら、「モノ」となった身体を科学のために役立てるのはよいことである、ということだろう。

冒頭の脳医学について思うこと。21世紀の我々は17世紀の科学を稚拙だと定義はできない。何故なら、常に科学のヒントは過去にさかのぼり、過去からいただいて研鑽に励み、その蓄積を紡いでいるに過ぎないからだ。そして、「今」を「一番」と考えるような傲慢さを持ってはいけない。何故なら、我々が「現代」と呼ぶ「今」は、300年後や500年後の未来になった時、「現代」という呼称が剥奪されるだけでなく、たとえば「17世紀から21世紀までの科学の模索時代」など、未来人にとっては科学の発展途上の時代だったと位置づけることになるだろうから。

普遍の哲学:ソクラテスの巻

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「無知の知」を本当の意味で認めることができたら、肩の力も抜け、謙虚になれて、今までよりももうちょっとは、いい人になれるような気がするのに・・・

上記は、反省も含めソクラテスから学び続けていることだ。好きな哲学者の中にこの人を入れないと始まらない。古代の彼の哲学は、中世・近世にも大きな影響を与え、現代に至ってはなおさら、である。2400年の時を経た彼の哲学は普遍であり、何故か今も新しい響きを持つ。

風変わり、同性愛、皮肉屋など、色々な”個性”を揶揄されることもしばしばだが、彼の本来的「資質」は「愛知(知を愛すること)」であった。彼は人生を賭してそれを追求し続けた。この究極の目的と言える「愛知」を哲学するには、広く「常識」と言われることをまず疑ってみることにあり、そうした既成概念を解き放たなければ何も見えないはずだとソクラテスは考えたのである。では何か見えたのか。いや見えない。最終的には、知らないことを自認する。これが「問答法」による「無知の知」である。

ソクラテス自身が著した書はなく、彼の哲学書の著者は弟子のプラトン。以下にソクラテスの知の探求を簡単に示してみる。引用著書は『ソクラテスの弁明』と『クリトン』。『クリトン』を読んで泪した私をここで告白しつつ、ページ数も少ない著書なので、皆さんにも是非読んでいただきたいと願うものである。

ソクラテスが35歳の頃。「ソクラテス以上の賢者ありや?」というデルフォイの神託をきっかけとして、ソクラテスは実践的にそれを探求する街頭の人となる。常日頃、知恵者であると言われている人との対話dialogos により、その人に無知を必然的に知らしめてしまう「問答法」は有名である。ソクラテスが街頭で悟ったことは、世間から知恵者であると言われている人よりも、自分の方が(僅かでも)知恵者であるということだった。
「私の方がこの人よりは知恵ある者である。何故なら、我々のどちらもが善美なることを何も知らないようであるが、この人の方はそれを知らないのに何か知っていると思っているのに対して、私の方は実際に知らないので、そのようにまた知っているとも思っていないからである。だから私の方がまさにこの点で、つまり、自分の知らないことはまた知っているとも思っていないという点で彼よりはほんの少しばかり智恵ある者であるようだ」

プラトン著『ソクラテスの弁明』

ソクラテスは決して自分が知恵者であると言っているのではない。何か一つの言葉についてどう理解しているかの確認作業をすると、人は案外理解度は低いものである。問答法で次々に質問を掘り下げて問いただされると、最後は言葉に詰まって当たり前。それを「知恵者」のように知ったかぶりするなと解釈できる。それが「無知の知」である。無知であることを知ることは恥ずかしいことではない。無知を知ることで謙虚になれる。

人々に知を愛させることを使命とした街頭の人ソクラテスは、しばしばソクラテスの皮肉ironia socratica と呼ばれた。確かに、問答法で問い詰められる側にしてみればソクラテスは皮肉屋だろう。だが、彼は自分を常に皮肉っていたと言えるのではないか。自ら無知の知を宣言する彼の方が問い詰められる側よりももっともっと”皮肉られて”はいないだろうか。心に余裕を持ち、寛大で、ユーモアに溢れていなければ、こうした芸当は不可能だ。美青年への愛の告白、一生涯の愛の虜など、一見奇っ怪にも見える行動を通じて、彼は「常識外れ」だとの謗りを受けた。だがこれも、既成概念なり「常識」に囚われず、そこから全てを解き放とうという彼流のアイロニカルな姿勢なのだと推測できる。

しかしこうした行動が、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という罪で裁判にかけられ、死刑を命ぜられる。問答法でソクラテスに論破された政治家たちがプライドを保つために執った措置なのだが。
『クリトン』(プラトン著)では、ソクラテスの旧友クリトンが獄中を尋ねてくる。弟子達の協力を得て脱獄・亡命を勧めるクリトンと、対話方式で国家や法律を語りながら、死刑を受け容れる自分をクリトンに理解させようとするソクラテス。これが同著の内容だ。

そしてソクラテスの最期。彼は弟子や親しい人たちとの対話を楽しんだ後、毒ニンジン杯を飲み「知への愛」に殉ずる。
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「ソクラテスの死 」ジャック=ルイ・ダヴィッド作


「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ」

Jean-Jacques Rousseau (1712~1778)