*生活を営む中で誰しもが持つ「普遍の哲学」。皆さんも何かお持ちだと思います。自分の根幹・中心軸の支えを「知る」ことはとても大切なことだと考えます。それは特に有名な言葉である必要はなく、座右の銘が必要だというわけでもありません。ただ、「どう生きていますか」と問われた時に胸を張って言えることがあればいいと思うのです。それがその時点でのあなたの「普遍の哲学」ではないでしょうか。
上記は、反省も含めソクラテスから学び続けていることだ。好きな哲学者の中にこの人を入れないと始まらない。古代の彼の哲学は、中世・近世にも大きな影響を与え、現代に至ってはなおさら、である。2400年の時を経た彼の哲学は普遍であり、何故か今も新しい響きを持つ。
風変わり、同性愛、皮肉屋など、色々な”個性”を揶揄されることもしばしばだが、彼の本来的「資質」は「愛知(知を愛すること)」であった。彼は人生を賭してそれを追求し続けた。この究極の目的と言える「愛知」を哲学するには、広く「常識」と言われることをまず疑ってみることにあり、そうした既成概念を解き放たなければ何も見えないはずだとソクラテスは考えたのである。では何か見えたのか。いや見えない。最終的には、知らないことを自認する。これが「問答法」による「無知の知」である。
ソクラテス自身が著した書はなく、彼の哲学書の著者は弟子のプラトン。以下にソクラテスの知の探求を簡単に示してみる。引用著書は『ソクラテスの弁明』と『クリトン』。『クリトン』を読んで泪した私をここで告白しつつ、ページ数も少ない著書なので、皆さんにも是非読んでいただきたいと願うものである。
ソクラテスが35歳の頃。「ソクラテス以上の賢者ありや?」というデルフォイの神託をきっかけとして、ソクラテスは実践的にそれを探求する街頭の人となる。常日頃、知恵者であると言われている人との対話dialogos により、その人に無知を必然的に知らしめてしまう「問答法」は有名である。ソクラテスが街頭で悟ったことは、世間から知恵者であると言われている人よりも、自分の方が(僅かでも)知恵者であるということだった。
「私の方がこの人よりは知恵ある者である。何故なら、我々のどちらもが善美なることを何も知らないようであるが、この人の方はそれを知らないのに何か知っていると思っているのに対して、私の方は実際に知らないので、そのようにまた知っているとも思っていないからである。だから私の方がまさにこの点で、つまり、自分の知らないことはまた知っているとも思っていないという点で彼よりはほんの少しばかり智恵ある者であるようだ」
(プラトン著『ソクラテスの弁明』)
ソクラテスは決して自分が知恵者であると言っているのではない。何か一つの言葉についてどう理解しているかの確認作業をすると、人は案外理解度は低いものである。問答法で次々に質問を掘り下げて問いただされると、最後は言葉に詰まって当たり前。それを「知恵者」のように知ったかぶりするなと解釈できる。それが「無知の知」である。無知であることを知ることは恥ずかしいことではない。無知を知ることで謙虚になれる。
人々に知を愛させることを使命とした街頭の人ソクラテスは、しばしばソクラテスの皮肉ironia socratica と呼ばれた。確かに、問答法で問い詰められる側にしてみればソクラテスは皮肉屋だろう。だが、彼は自分を常に皮肉っていたと言えるのではないか。自ら無知の知を宣言する彼の方が問い詰められる側よりももっともっと”皮肉られて”はいないだろうか。心に余裕を持ち、寛大で、ユーモアに溢れていなければ、こうした芸当は不可能だ。美青年への愛の告白、一生涯の愛の虜など、一見奇っ怪にも見える行動を通じて、彼は「常識外れ」だとの謗りを受けた。だがこれも、既成概念なり「常識」に囚われず、そこから全てを解き放とうという彼流のアイロニカルな姿勢なのだと推測できる。
しかしこうした行動が、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という罪で裁判にかけられ、死刑を命ぜられる。問答法でソクラテスに論破された政治家たちがプライドを保つために執った措置なのだが。
『クリトン』(プラトン著)では、ソクラテスの旧友クリトンが獄中を尋ねてくる。弟子達の協力を得て脱獄・亡命を勧めるクリトンと、対話方式で国家や法律を語りながら、死刑を受け容れる自分をクリトンに理解させようとするソクラテス。これが同著の内容だ。
そしてソクラテスの最期。彼は弟子や親しい人たちとの対話を楽しんだ後、毒ニンジン杯を飲み「知への愛」に殉ずる。
風変わり、同性愛、皮肉屋など、色々な”個性”を揶揄されることもしばしばだが、彼の本来的「資質」は「愛知(知を愛すること)」であった。彼は人生を賭してそれを追求し続けた。この究極の目的と言える「愛知」を哲学するには、広く「常識」と言われることをまず疑ってみることにあり、そうした既成概念を解き放たなければ何も見えないはずだとソクラテスは考えたのである。では何か見えたのか。いや見えない。最終的には、知らないことを自認する。これが「問答法」による「無知の知」である。
ソクラテス自身が著した書はなく、彼の哲学書の著者は弟子のプラトン。以下にソクラテスの知の探求を簡単に示してみる。引用著書は『ソクラテスの弁明』と『クリトン』。『クリトン』を読んで泪した私をここで告白しつつ、ページ数も少ない著書なので、皆さんにも是非読んでいただきたいと願うものである。
ソクラテスが35歳の頃。「ソクラテス以上の賢者ありや?」というデルフォイの神託をきっかけとして、ソクラテスは実践的にそれを探求する街頭の人となる。常日頃、知恵者であると言われている人との対話dialogos により、その人に無知を必然的に知らしめてしまう「問答法」は有名である。ソクラテスが街頭で悟ったことは、世間から知恵者であると言われている人よりも、自分の方が(僅かでも)知恵者であるということだった。
「私の方がこの人よりは知恵ある者である。何故なら、我々のどちらもが善美なることを何も知らないようであるが、この人の方はそれを知らないのに何か知っていると思っているのに対して、私の方は実際に知らないので、そのようにまた知っているとも思っていないからである。だから私の方がまさにこの点で、つまり、自分の知らないことはまた知っているとも思っていないという点で彼よりはほんの少しばかり智恵ある者であるようだ」
(プラトン著『ソクラテスの弁明』)
ソクラテスは決して自分が知恵者であると言っているのではない。何か一つの言葉についてどう理解しているかの確認作業をすると、人は案外理解度は低いものである。問答法で次々に質問を掘り下げて問いただされると、最後は言葉に詰まって当たり前。それを「知恵者」のように知ったかぶりするなと解釈できる。それが「無知の知」である。無知であることを知ることは恥ずかしいことではない。無知を知ることで謙虚になれる。
人々に知を愛させることを使命とした街頭の人ソクラテスは、しばしばソクラテスの皮肉ironia socratica と呼ばれた。確かに、問答法で問い詰められる側にしてみればソクラテスは皮肉屋だろう。だが、彼は自分を常に皮肉っていたと言えるのではないか。自ら無知の知を宣言する彼の方が問い詰められる側よりももっともっと”皮肉られて”はいないだろうか。心に余裕を持ち、寛大で、ユーモアに溢れていなければ、こうした芸当は不可能だ。美青年への愛の告白、一生涯の愛の虜など、一見奇っ怪にも見える行動を通じて、彼は「常識外れ」だとの謗りを受けた。だがこれも、既成概念なり「常識」に囚われず、そこから全てを解き放とうという彼流のアイロニカルな姿勢なのだと推測できる。
しかしこうした行動が、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という罪で裁判にかけられ、死刑を命ぜられる。問答法でソクラテスに論破された政治家たちがプライドを保つために執った措置なのだが。
『クリトン』(プラトン著)では、ソクラテスの旧友クリトンが獄中を尋ねてくる。弟子達の協力を得て脱獄・亡命を勧めるクリトンと、対話方式で国家や法律を語りながら、死刑を受け容れる自分をクリトンに理解させようとするソクラテス。これが同著の内容だ。
そしてソクラテスの最期。彼は弟子や親しい人たちとの対話を楽しんだ後、毒ニンジン杯を飲み「知への愛」に殉ずる。
「無知の知」を本当の意味で認めることができたら、
肩の力も抜け、謙虚になれて、今までよりももうちょっとは、
いい人になれるような気がするのに。。。。
肩の力も抜け、謙虚になれて、今までよりももうちょっとは、
いい人になれるような気がするのに。。。。
*限りなく個人的なコトですが、ソクラテスが亡くなった日は4月27日、私の誕生日は4月28日です(^o^;)。