本末転倒とはこのこと


10年03月29日:月 :"なんだかんだ":日本のゆくえ
最近、第三者に身内のことを話す際の呼び方で違和感を感じることがある。自分の奥さんのことを「よし子さん」「真弓さん」というように「さん」付けするご主人。時には「奥さん」と呼ぶ人も。また、奥さんを「嫁」と呼ぶご主人。姑が嫁と呼ぶのはわかるが。また、奥さんがご主人を「ダンナさん」と呼ぶ例にも出くわす。
第三者に話す時、身内は呼び捨て。あるいは「妻」とか「女房」、「亭主」や「主人」、と思ってきたが。へりくだり、謙譲、序列を付けた呼び方、これが日本式では? まして、「奥さん」と呼ぶ対象は、自分の側ではなく、第三者の妻をそう呼ぶのではなかったか?
こういう例はどうか。坂田という家があり、家政婦さんを雇っているとしよう。玄関先で坂田家の奥さん、家政婦さん、銀行マンが坂田家のご主人に用があってきている設定。ご主人は出かけている。奥さんが家政婦さんに対し「旦那様はどこかしら?」と、尋ねるのはあり。でも、銀行マンに対しては「坂田は出かけているようです」と言わなければならない。序列があるからこそ、こういう例も成り立つ、のだと”信じて”きた。この奥さんの「様」から「呼び捨て」の変わり身、これは会社では常識のはず。社内で「田中さん」と呼んでも、社外の人には「田中は」となる。
時代の流れとともに言葉の使い方、使われ方も違ってくる。言語学者でもないため、本当のところはわからないが、そういう巷の「流行」に今ひとつ馴染めず、違和感を感じ、時には「それ、間違ってるわよ」と言いたくなるのは、やはり歳なのか、とも。
話はかなり変わるが(変わっているようでいて実は関連があるのだが)、もうすぐ新卒就職の4月。だが大学生の就職難は依然として変わらない。苦肉の策なのかどうか、「卒業後の3年間は企業側に門戸を開くよう求める」とした日本学術会議、「新卒の肩書きを与えるための希望留年制度」を設ける大学側。
は??? 何をしているのだろうと言いたい。以前このブログでも伝えたように、日本企業は「新卒好き」で、学生の「就活」は今や3年生からが当たり前。オマケでもらったプラス1年の就活組、5年生”新卒”。こんな小手先のごまかしのような「新卒」を作っても、企業は所詮、通常の4年で就職するこちらの”新卒”を選んでしまうのではないだろうか。或いは、5年新卒に対しある種の負け組的偏見をもって見てしまうのではないだろうか。彼らが不利にならないとどうして言い切れるのか。
そもそも、3年生からスタートの就活で学業がおろそかになっているような学生を4年卒業で会社に入れる方がリスキーと言える。学生の本分は学業。この就職難で、教授陣もお情け的に単位を上げているということはないだろうか。3万字や5万字もの卒論はきちんとした調査やデータの精査があってこそ書けるもの。まさかこちらもお情けで、か? 学業は学業のためだけにあらず。学業を通じて「なりたい自分」を探って行く。このために大学の勉強がある。高校までの勉強は、定説とその因果関係を「覚える」ことが主。一方の大学は、その定説と因果関係に「何故」という「独自の視点」を投じ、そこを掘り下げて、その「意義」をつかみ出す営みを行う学問の府だ。常に「問い」を学ぶ場所なのである。ここでしっかりと「問い」を学べば、曲がりなりにもいっぱしの社会人になれる。そのように科目は組み立てられているのだから。
だが、3年就活の結果、「使えない」新社会人を続々と排出しているのでは。企業側は第一に「コミュニケーション能力」を重要視しているという。最近ではキャリアコンサルタントに面接の訓練をしてもらっている学生も増えている。エントリーシートの書き方も含め、自分をどうアピールするかを教え込むのである。訓練は悪い事ではない。自分自身の新たな発見もある。だが、プロに教え込まれた戦略が面接という本番用の「芝居」になってしまうことはないだろうか。教え込まれたことが本当に「実になっているか」はわからない。何せ、まだ社会は未体験ゾーンなのだから。
この際、卒業後の1〜2年は就職せず、社会勉強タイムとしたらどうなのか。ボランティア活動などを通じて社会を知り、自分をも見つめる。このぐらいの期間があれば「進路」も見えてくるのではないか。その上で就活。その方が何倍も「使える」社会人になるはず。そうすれば4年間はしっかりと学業に専念でき、真に学問も身に付く。卒業後の社会勉強タイムにも身に付いた学問が活かされる。こちらの方がいい事尽くめではないか。
少々乱暴な見解だが、先の「さん」付け若者を、「使えない」社会人とイコール化させたくなる私がいる。。。
第三者に話す時、身内は呼び捨て。あるいは「妻」とか「女房」、「亭主」や「主人」、と思ってきたが。へりくだり、謙譲、序列を付けた呼び方、これが日本式では? まして、「奥さん」と呼ぶ対象は、自分の側ではなく、第三者の妻をそう呼ぶのではなかったか?
こういう例はどうか。坂田という家があり、家政婦さんを雇っているとしよう。玄関先で坂田家の奥さん、家政婦さん、銀行マンが坂田家のご主人に用があってきている設定。ご主人は出かけている。奥さんが家政婦さんに対し「旦那様はどこかしら?」と、尋ねるのはあり。でも、銀行マンに対しては「坂田は出かけているようです」と言わなければならない。序列があるからこそ、こういう例も成り立つ、のだと”信じて”きた。この奥さんの「様」から「呼び捨て」の変わり身、これは会社では常識のはず。社内で「田中さん」と呼んでも、社外の人には「田中は」となる。
時代の流れとともに言葉の使い方、使われ方も違ってくる。言語学者でもないため、本当のところはわからないが、そういう巷の「流行」に今ひとつ馴染めず、違和感を感じ、時には「それ、間違ってるわよ」と言いたくなるのは、やはり歳なのか、とも。
話はかなり変わるが(変わっているようでいて実は関連があるのだが)、もうすぐ新卒就職の4月。だが大学生の就職難は依然として変わらない。苦肉の策なのかどうか、「卒業後の3年間は企業側に門戸を開くよう求める」とした日本学術会議、「新卒の肩書きを与えるための希望留年制度」を設ける大学側。
は??? 何をしているのだろうと言いたい。以前このブログでも伝えたように、日本企業は「新卒好き」で、学生の「就活」は今や3年生からが当たり前。オマケでもらったプラス1年の就活組、5年生”新卒”。こんな小手先のごまかしのような「新卒」を作っても、企業は所詮、通常の4年で就職するこちらの”新卒”を選んでしまうのではないだろうか。或いは、5年新卒に対しある種の負け組的偏見をもって見てしまうのではないだろうか。彼らが不利にならないとどうして言い切れるのか。
そもそも、3年生からスタートの就活で学業がおろそかになっているような学生を4年卒業で会社に入れる方がリスキーと言える。学生の本分は学業。この就職難で、教授陣もお情け的に単位を上げているということはないだろうか。3万字や5万字もの卒論はきちんとした調査やデータの精査があってこそ書けるもの。まさかこちらもお情けで、か? 学業は学業のためだけにあらず。学業を通じて「なりたい自分」を探って行く。このために大学の勉強がある。高校までの勉強は、定説とその因果関係を「覚える」ことが主。一方の大学は、その定説と因果関係に「何故」という「独自の視点」を投じ、そこを掘り下げて、その「意義」をつかみ出す営みを行う学問の府だ。常に「問い」を学ぶ場所なのである。ここでしっかりと「問い」を学べば、曲がりなりにもいっぱしの社会人になれる。そのように科目は組み立てられているのだから。
だが、3年就活の結果、「使えない」新社会人を続々と排出しているのでは。企業側は第一に「コミュニケーション能力」を重要視しているという。最近ではキャリアコンサルタントに面接の訓練をしてもらっている学生も増えている。エントリーシートの書き方も含め、自分をどうアピールするかを教え込むのである。訓練は悪い事ではない。自分自身の新たな発見もある。だが、プロに教え込まれた戦略が面接という本番用の「芝居」になってしまうことはないだろうか。教え込まれたことが本当に「実になっているか」はわからない。何せ、まだ社会は未体験ゾーンなのだから。
この際、卒業後の1〜2年は就職せず、社会勉強タイムとしたらどうなのか。ボランティア活動などを通じて社会を知り、自分をも見つめる。このぐらいの期間があれば「進路」も見えてくるのではないか。その上で就活。その方が何倍も「使える」社会人になるはず。そうすれば4年間はしっかりと学業に専念でき、真に学問も身に付く。卒業後の社会勉強タイムにも身に付いた学問が活かされる。こちらの方がいい事尽くめではないか。
少々乱暴な見解だが、先の「さん」付け若者を、「使えない」社会人とイコール化させたくなる私がいる。。。