”図書室”ではないんです


10年01月13日:水 :"なんだかんだ":不満が
今年は「国民読書年」なのだそうだ。一昨日の朝日新聞の社説は「読書年 町の図書館を使いこなす」。内容を読むと、以前、このブログで訴えた「図書館が欲しい!」と同様の主旨が書いてあった。パワーも何もない一個人があがくよりも、このように大新聞が社説で図書館の必要性を説いてくれる方が何百倍も訴求力があるというもの。
社説には私が書かなかったことも載っている。それは、国際的に見ると日本の図書館数はかなり低水準であり、人口あたりの館数は先進7カ国で最下位。平均の半分にも満たないという調査もあるそうだ。かなりショック。
また、子供達のためにも、資料を使いこなす力を培う、子供と本の結びつきを太く強くすべきだと書いてあった。その通りだと思う。ネット検索ですぐに結果を出すのは、考える力、使いこなす力は養えない。本に書かれている文字は二次元の世界なれど、本が保持する古今の英知は3次元や四次元の世界。あの事とこの事、そしてこういう事、この複数の「事柄」が錯綜するが如しに入り組み、その中に求める「事実」が潜んでいるのである。物事を体系的に捉える訓練、この探究心こそ子供に必要なこと。子供だけではない。大人にも必要である。
だからこそ図書館には専門の職員が必要なのである。ただただ「本」があればよい、となると、せっかくの宝も持ち腐れとなる。蔵書数を増やす場合でも、どんな本を入荷するかではなく、まず予算ありきになる。複層的な次元の世界への道先案内人がいてこそ、大人にも子供にも、図書館の素晴らしさが理解してもらえるというもの。
新聞の社説に感動していた矢先、届いた『広報 いすみ 1月号』を読んでがっくり。市長の新年の挨拶文があり、今年度の方針のようなことが書かれており、教育施設の整備の箇所に「市民のための図書室の充実に努めます」とある。
図書室と図書館とは異なる。図書館法の中にある両者関係を簡潔に言うと、図書館は奉仕として、図書室と協力関係を行わなければならない、という立場なのである。国民の教育と文化の発展に寄与するため、本来的にはどの最小自治体にも図書館設置は”望ましい”のだと、文科省の教育基本法としては考えている。だが、先立つもの(地方財政)、地方の図書館意識(地方行政の視点)、この両者が揃ってこそ成立する図書館であり、それがかなわない場合はせめて図書室だけでも、という実情が見え隠れする。これが「図書室の実態」だろう。だから、図書室は”お茶をにごす”程度の蔵書にならざるを得ないし、読むために過ごす、という状況からはほど遠い「設備」しかないのである。
図書館の有無だけでその地域の善し悪しを判断することは許されないが、善し悪しの判断材料にはなる。図書館発展途上国との烙印を押された日本であっても、「市」と名がつく地域で図書館が無い自治体は、かなり少数派に属するということだけはここで伝えておこう。
社説には私が書かなかったことも載っている。それは、国際的に見ると日本の図書館数はかなり低水準であり、人口あたりの館数は先進7カ国で最下位。平均の半分にも満たないという調査もあるそうだ。かなりショック。
また、子供達のためにも、資料を使いこなす力を培う、子供と本の結びつきを太く強くすべきだと書いてあった。その通りだと思う。ネット検索ですぐに結果を出すのは、考える力、使いこなす力は養えない。本に書かれている文字は二次元の世界なれど、本が保持する古今の英知は3次元や四次元の世界。あの事とこの事、そしてこういう事、この複数の「事柄」が錯綜するが如しに入り組み、その中に求める「事実」が潜んでいるのである。物事を体系的に捉える訓練、この探究心こそ子供に必要なこと。子供だけではない。大人にも必要である。
だからこそ図書館には専門の職員が必要なのである。ただただ「本」があればよい、となると、せっかくの宝も持ち腐れとなる。蔵書数を増やす場合でも、どんな本を入荷するかではなく、まず予算ありきになる。複層的な次元の世界への道先案内人がいてこそ、大人にも子供にも、図書館の素晴らしさが理解してもらえるというもの。
新聞の社説に感動していた矢先、届いた『広報 いすみ 1月号』を読んでがっくり。市長の新年の挨拶文があり、今年度の方針のようなことが書かれており、教育施設の整備の箇所に「市民のための図書室の充実に努めます」とある。
図書室と図書館とは異なる。図書館法の中にある両者関係を簡潔に言うと、図書館は奉仕として、図書室と協力関係を行わなければならない、という立場なのである。国民の教育と文化の発展に寄与するため、本来的にはどの最小自治体にも図書館設置は”望ましい”のだと、文科省の教育基本法としては考えている。だが、先立つもの(地方財政)、地方の図書館意識(地方行政の視点)、この両者が揃ってこそ成立する図書館であり、それがかなわない場合はせめて図書室だけでも、という実情が見え隠れする。これが「図書室の実態」だろう。だから、図書室は”お茶をにごす”程度の蔵書にならざるを得ないし、読むために過ごす、という状況からはほど遠い「設備」しかないのである。
図書館の有無だけでその地域の善し悪しを判断することは許されないが、善し悪しの判断材料にはなる。図書館発展途上国との烙印を押された日本であっても、「市」と名がつく地域で図書館が無い自治体は、かなり少数派に属するということだけはここで伝えておこう。