8,760時間


09年12月31日:木 :"なんだかんだ":考える
今年のブログを振り返ってみて感じることがいくつかあった。
一つ:ブログは誰に向けて書いているのか。公開日記であるから読者を意識しないわけにはいかない。でも、誰?
二つ:どういうメッセージを放っていくのか、いきたいのか。一つめのことにも通じるが、誰に向けて書いているかによって違ってくる。
三つ:完全にパーソナルなものとしたいのか、多くの人に読んでもらいたいと考えているのか。バナー広告、相互リンク、メタ言語駆使などによるヒット数増、など、金銭目的も含め、戦略的にブログを知らしめて行きたいのか、という課題にも直面する。
一度スタートさせると、ブログはある意味「プレッシャー」になる。もちろん重々しいプレッシャーではないが。3日に開けずブログを書いていた人がしばらくブログを留守にすると、再開した時に必ず「謝罪」に近い言葉を書いてしまう。私もその気持ちはわかる。だが果たして誰に謝っているのか。もちろん読者なのだが、書きたいときに書き、書きたくない時には書かない、あるいは書けないときは書かない、ブログはそれでいいはず、なのに。しかし、やはりブログは継続ものなのだろう。継続するからには、やはり読んで欲しいと願う。そうした気持ちはブログの中断をさせづらくし、再開後の謝罪気分にもつながる。
また、一躍有名にでもならない限り、基本的にブログの読者は「身内」。決して多い読者数とはいえない。だが、「身内」が読むからこそ、どこまで「本音」を書けるのかという課題も生ずる。内容によっては「身内」の誰かを傷つけることもあり得るため、言葉は選ばねばならない。「身内」の個人的な情報を公開するには許可が必要だったり、あるいは掲載不可能ということもある。「身内」が読んで、それが「身内同士」の内容であることもあり得るから、これまた配慮が必要になる。
ここでいう課題やら配慮は、決して「身内」に対する罵詈雑言ということではない。そこまで深刻な内容ではない。だが、書く側が書き綴りたいと思うことが、書かれる側の意識とのずれにより、書けなくなることもあるような気がする。活字には身振り手振りの表情がないからこそ、言葉も選ばねばならない。
また、自分自身のことを書くにしても「限界」がある。知られたくないことを書く人はいない。都合の悪いことはパスしたいものだ。だが、「非公開」の日記なら全てを綴るだろう。心の全てが書き留めてあることが日記なのだから。公開されるブログとの大きな違いがここにある。だが、読みたいと思わせるブログには「心」がある。それが「非公開」の側にかなり多いこと、この皮肉な事実も重い。
私のブログは8月下旬からスタートしたばかり。全く深刻な場面に遭遇したわけではない。だが、多少のジレンマを感じ始めてはいる。2010年はそのジレンマに向き合ってみようかと思う。
今日は大晦日。12月31日と1月1日、たった1日違い、大晦日の夜11時59分と元旦の零時ではたった1分の違い、隣り合った時間にもかかわらず、何故か気持ちも新たな思いにさせてくれる。来年こそはと願う、そういう気持ちに応えるかのように「新年」があるように思う。とてもありがたい。
1日24時間。365日目の今日で8,760時間という時間を過ごしてきたことになる。ブログには時間表示をしない設定にしているが、これを書いていた時刻は朝の6時30分。今朝はなんと4時20分に目が覚めた。満月の月明かりがとても美しかった。
10日前から「チクタク」とともに行ってきたカウントダウン。
あと17時間半で2009年が終わる。チ・ク・タ・ク。
一つ:ブログは誰に向けて書いているのか。公開日記であるから読者を意識しないわけにはいかない。でも、誰?
二つ:どういうメッセージを放っていくのか、いきたいのか。一つめのことにも通じるが、誰に向けて書いているかによって違ってくる。
三つ:完全にパーソナルなものとしたいのか、多くの人に読んでもらいたいと考えているのか。バナー広告、相互リンク、メタ言語駆使などによるヒット数増、など、金銭目的も含め、戦略的にブログを知らしめて行きたいのか、という課題にも直面する。
一度スタートさせると、ブログはある意味「プレッシャー」になる。もちろん重々しいプレッシャーではないが。3日に開けずブログを書いていた人がしばらくブログを留守にすると、再開した時に必ず「謝罪」に近い言葉を書いてしまう。私もその気持ちはわかる。だが果たして誰に謝っているのか。もちろん読者なのだが、書きたいときに書き、書きたくない時には書かない、あるいは書けないときは書かない、ブログはそれでいいはず、なのに。しかし、やはりブログは継続ものなのだろう。継続するからには、やはり読んで欲しいと願う。そうした気持ちはブログの中断をさせづらくし、再開後の謝罪気分にもつながる。
また、一躍有名にでもならない限り、基本的にブログの読者は「身内」。決して多い読者数とはいえない。だが、「身内」が読むからこそ、どこまで「本音」を書けるのかという課題も生ずる。内容によっては「身内」の誰かを傷つけることもあり得るため、言葉は選ばねばならない。「身内」の個人的な情報を公開するには許可が必要だったり、あるいは掲載不可能ということもある。「身内」が読んで、それが「身内同士」の内容であることもあり得るから、これまた配慮が必要になる。
ここでいう課題やら配慮は、決して「身内」に対する罵詈雑言ということではない。そこまで深刻な内容ではない。だが、書く側が書き綴りたいと思うことが、書かれる側の意識とのずれにより、書けなくなることもあるような気がする。活字には身振り手振りの表情がないからこそ、言葉も選ばねばならない。
また、自分自身のことを書くにしても「限界」がある。知られたくないことを書く人はいない。都合の悪いことはパスしたいものだ。だが、「非公開」の日記なら全てを綴るだろう。心の全てが書き留めてあることが日記なのだから。公開されるブログとの大きな違いがここにある。だが、読みたいと思わせるブログには「心」がある。それが「非公開」の側にかなり多いこと、この皮肉な事実も重い。
私のブログは8月下旬からスタートしたばかり。全く深刻な場面に遭遇したわけではない。だが、多少のジレンマを感じ始めてはいる。2010年はそのジレンマに向き合ってみようかと思う。
今日は大晦日。12月31日と1月1日、たった1日違い、大晦日の夜11時59分と元旦の零時ではたった1分の違い、隣り合った時間にもかかわらず、何故か気持ちも新たな思いにさせてくれる。来年こそはと願う、そういう気持ちに応えるかのように「新年」があるように思う。とてもありがたい。
1日24時間。365日目の今日で8,760時間という時間を過ごしてきたことになる。ブログには時間表示をしない設定にしているが、これを書いていた時刻は朝の6時30分。今朝はなんと4時20分に目が覚めた。満月の月明かりがとても美しかった。
10日前から「チクタク」とともに行ってきたカウントダウン。
あと17時間半で2009年が終わる。チ・ク・タ・ク。