虎仮面の裏側にHappySadFoot in Mouth

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「タイガーマスク現象」ブーム。昨年のクリスマスにランドセルから始まった贈り物は、モノだけに止まらず、現金、金塊にまで及んだ。この現象を機に寄付の問題点も浮上した。実名での寄付が望ましい、需要と贈り物が合致しないケース、寄付による税の控除をきちんと整備すべき、などなど。

寄付や奉仕に対する見識が高まり、課題も報道されたことは賞賛に値する。だが、マスコミは「面白い話題」を常に求めている。そしてそれを煽るのだ。今回のタイガーマスクは格好の素材だろう。ニュースでは日本地図が登場し、2色に色分けされていた。タイガーマスク現象が起きた都道府県と起きていない都道府県の2色。起きていない都道府県はほんのわずか。そのため、めちゃくちゃ目立った。千葉県も入っていた。タイガーマスク現象が起きていないなんて恥辱的なことだと言わんばかり。通信簿のようだ。タイガーマスクの”いない”都道府県でも思いは同じだったのか、その1〜2日後のニュースでは47都道府県全てが一色に切り替わっていた。煽り効果抜群、大成功だ(笑)。

マスコミによるブームであっても、奉仕の精神自体は素晴らしいことだ。「タイガーマスク」は善意の行動だと信じる。だが、マスコミに煽られ、”地図の通信簿”まで見せられ、とにかくやらなくては”国の恥”という考えになったとしたら、そこには善意以外の気持ちが入り込むのではないか。「恵まれないから恵んでやったんだ。嬉しく思うはずだ。涙のひとつも流すはずだ。感謝されるはずだ。あーいい気持ちだ」。こんな傲慢、高慢さはないと信じたい。だが、真の奉仕精神が宿っているかの確証もない。

一方の課題は解決となるか。これを機に税制が整備され、寄付をし易い仕組みに改正されるかどうか。人の噂も七十五日という。課題を残したままブームは消え去るのか。その怖れは充分にある。

マスコミ煽動のお祭り騒ぎは、事の本質を照らし損ねることがある。漫画の中の本物のタイガーマスクこと、伊達直人は「孤児院」育ち。1969年。私も見ていたテレビマンガ。あの時代だから孤児だった。だが今日の平成タイガーマスク現象は、「児童養護施設」への寄付。中には孤児もいる。だが、今日日は、親から子への虐待、養育不可能になったためというケースが群を抜いていると聞く。児童福祉法改正により、孤児院が児童養護施設と名称変更。なるほど納得の名称変更。当時のタイガーマスクに出てくる孤児たちは素直で健気で明るかった。漫画だし、作り物なのだから、孤児の理想を描いたのか、事実なのかはわからない。だが、児童養護施設にいる子供達はどうだろうか。親がいるのに親と暮らしていない、親がいるのに一緒に暮らせない子供達。推測できるのは、彼らの心は傷ついていること。ランドセルよりも欲しいものがあるのではないか。物品だけを与えればそれでいいのか。心のケアは万全だろうか。そんなことの方が気になる。

面白そうな話題に飛びつくマスコミ。功罪両面を持つマスコミは諸刃の剣。そして煽られ易い一般の視聴者心理。

罪の面ではこういうこともあった。それは、昨年10月に亡くなった尾下大造さん。享年88歳。陸軍時代のこと。ムカムカするという理由で中国人女性20名ほどを撃ち殺す上官を目撃した。自らも上官の命令で男性一人を撃った。そして戦後、彼は軍人恩給を拒否。それがマスコミで報道された。彼の元には批難のハガキがたくさん届いた。「自分だけいい格好するな」という声も聞いた。敵に囲まれた駐屯地であっても自らが敵前に飛び出し、命を晒す危険な行動を部下に押し付けるようなことはなかったという友人の証言。尾下氏の人となりを表す証言だ。「外国で悪い事をしたのだからもらえない」という尾下さんの弁。その気持ちが恩給拒否につながった。カッコつけではなく、戦争に対する彼の責任の取り方なのだろう。それがマスコミに取り上げられた途端、私生活でイヤな思いをする。彼が求めたのはマスコミに登場するような非凡な生活ではなく平凡で平穏な生活だったはずだ。