「子供」と自分の人生


10年05月20日:木 :"なんだかんだ":映画好き
私には子供はいないが、特に後悔はない。子供がいたら、それはそれで楽しかったのかもしれないとは思うが、子供のことで深刻な悩みを抱える友人知人の話を聞くと、子を育むということは決して簡単なことではなく、育て上げるという重要な責任・義務を伴っているのだと感じさせられ、私には不向きな”業”であるようにも思えてくる。
ジャック・ニコルソン主演の『アバウト・シュミット』2002年は、”自分軸”から「子供」を見つめる意義深い映画である。監督はアレクサンダー・ペイン。
何十年もの間一流保険会社の計理士として働いてきたウォーレン・シュミット(ニコルソン)。そして定年を迎える。大勢の部下や同僚の暖かい拍手で見送られるシュミット。若手に引き継いだ仕事のことも気になり、後継者の質問攻めを期待して会社に赴くが、元職場は全く問題なく運営されており、肩すかしを食らう。そればかりか、シュミットの書類がガレージで山積みにされており、焼却処分を待っている状態。66歳のシュミットはもう不要だと言わんばかりに。そして追い打ちをかけるように今度は妻の死。
妻に先立たれたシュミットに残された家族は最愛の一人娘ジーニー。だが、ジーニーも間もなく結婚をする運びに。シュミットは娘の婚約者ランドールを好んではおらず、結婚式が目前に迫りつつあるというのにも拘らず取りやめを哀願するぐらいだ。もちろん娘のジーニーは呆れ返る。
そんな中、アフリカの恵まれない子供を支援するチャリティ団体をテレビで知る。月々22ドルの支援。手紙と小切手を添えて送る。彼が支援する子供の名は「ンドゥグ」という6歳の男の子。会社組織には不要の身、妻の死、ロクでもない男と結婚する娘、四面楚歌、あるいは逆境とでもいうのか、自分自身を見失いそうになる中でンドゥグは彼の生き甲斐となっていく。折に触れ、シュミットは何度も手紙を書いた。憤懣を書いては破り捨てることもある。だが、手紙を書く事で彼は心のバランスを取っていたのであろう。
サラリーマン人生。自分は会社にとって何だったのだろうか、何かを残せたのだろうかと自問自答する日々。そして伴侶の死。定年後の妻との楽しい引退生活も泡となって消える。仕事人生の中、妻に何をしてあげられたのだろうかとまたまた自問自答する。子供の結婚。好みの娘婿ではないが、愛娘が選んだのだからと、諦めにも似た気持ちで”無難”なスピーチを結婚式で披露するシュミット。サラリーマン時代も平凡だっただろうシュミットの、定年退職後もまた平凡である人生。その平凡な人生とはなんと素晴らしく得難いことなのだろうという、とても奥深い映画だ。
エンディングのシーンは秀逸。ニコルソンだからこそ演じられたと言っても過言ではない気がするぐらいである(ネタバレですが)。何度か送り続けた手紙に対し、チャリティ団体から初めて手紙が届く。手紙は団体の事務局が書いたもの。ンドゥグは文字の読み書きができない。返事が書けない代わりに一枚の絵を描き、それが同封されていた。青空の下、大人と子供が手をつないでいる絵。カメラアングルはシュミットの顔のアップ。絵を見る彼の表情がゆっくり緩み、泣き笑いにも似た涙顔になる。その絵に何を感じたのか。どんな愛やメッセージが汲み取れたのか。察するに、たぶん監督は「あなたの思うように、どうぞ」とニコルソンに投げかけたのではないだろうか。
未来のいつか、その日が来るか来ないかはわからないけれど、こうした「子供」の持ち方も悪くないなと感じる。
ジャック・ニコルソン主演の『アバウト・シュミット』2002年は、”自分軸”から「子供」を見つめる意義深い映画である。監督はアレクサンダー・ペイン。
何十年もの間一流保険会社の計理士として働いてきたウォーレン・シュミット(ニコルソン)。そして定年を迎える。大勢の部下や同僚の暖かい拍手で見送られるシュミット。若手に引き継いだ仕事のことも気になり、後継者の質問攻めを期待して会社に赴くが、元職場は全く問題なく運営されており、肩すかしを食らう。そればかりか、シュミットの書類がガレージで山積みにされており、焼却処分を待っている状態。66歳のシュミットはもう不要だと言わんばかりに。そして追い打ちをかけるように今度は妻の死。
妻に先立たれたシュミットに残された家族は最愛の一人娘ジーニー。だが、ジーニーも間もなく結婚をする運びに。シュミットは娘の婚約者ランドールを好んではおらず、結婚式が目前に迫りつつあるというのにも拘らず取りやめを哀願するぐらいだ。もちろん娘のジーニーは呆れ返る。
そんな中、アフリカの恵まれない子供を支援するチャリティ団体をテレビで知る。月々22ドルの支援。手紙と小切手を添えて送る。彼が支援する子供の名は「ンドゥグ」という6歳の男の子。会社組織には不要の身、妻の死、ロクでもない男と結婚する娘、四面楚歌、あるいは逆境とでもいうのか、自分自身を見失いそうになる中でンドゥグは彼の生き甲斐となっていく。折に触れ、シュミットは何度も手紙を書いた。憤懣を書いては破り捨てることもある。だが、手紙を書く事で彼は心のバランスを取っていたのであろう。
サラリーマン人生。自分は会社にとって何だったのだろうか、何かを残せたのだろうかと自問自答する日々。そして伴侶の死。定年後の妻との楽しい引退生活も泡となって消える。仕事人生の中、妻に何をしてあげられたのだろうかとまたまた自問自答する。子供の結婚。好みの娘婿ではないが、愛娘が選んだのだからと、諦めにも似た気持ちで”無難”なスピーチを結婚式で披露するシュミット。サラリーマン時代も平凡だっただろうシュミットの、定年退職後もまた平凡である人生。その平凡な人生とはなんと素晴らしく得難いことなのだろうという、とても奥深い映画だ。
エンディングのシーンは秀逸。ニコルソンだからこそ演じられたと言っても過言ではない気がするぐらいである(ネタバレですが)。何度か送り続けた手紙に対し、チャリティ団体から初めて手紙が届く。手紙は団体の事務局が書いたもの。ンドゥグは文字の読み書きができない。返事が書けない代わりに一枚の絵を描き、それが同封されていた。青空の下、大人と子供が手をつないでいる絵。カメラアングルはシュミットの顔のアップ。絵を見る彼の表情がゆっくり緩み、泣き笑いにも似た涙顔になる。その絵に何を感じたのか。どんな愛やメッセージが汲み取れたのか。察するに、たぶん監督は「あなたの思うように、どうぞ」とニコルソンに投げかけたのではないだろうか。
未来のいつか、その日が来るか来ないかはわからないけれど、こうした「子供」の持ち方も悪くないなと感じる。