民放と東京HappySadFoot in Mouth

民放を見なくなってからもう7年。敷地の山(丘)のてっぺんにアンテナを立てない限り民放が入らないという所に居を構えた。民放不要の決断と東京脱出の決断はどこか似ている。民放番組と東京、両者に共通するのは気忙しさ。私はそこから脱出したのだなと感じる。

また、両者への「思い」にも共通する事がある。それは、たまには楽しいということ。深い森の中に住みながら時々東京に出かけるのは楽しい。また、人の家やお店などで時々民放を見ること、これもまた面白い。でも、それで充分であり、それ以上に欲することはない。

民放で一つだけ惜しいと感じる事は、稀にある良質なドラマが見られなくなったこと。今は亡き二人だが、例えば向田邦子原作で久世光彦演出のドラマ。良質なドラマとまでは言えないが、その瞬間を楽しませてくれるトレドラの中にも好きなものがいくつかあった。「東京ラブストーリー」、「ロンバケ」など。「ビューティフルライフ」は脚本が良いと感じられたトレドラの一つだ。

その民放のドラマに異変が起きているらしい。最近は、マンガになっているもの、有名小説が原作というものが多くなり、オリジナル脚本作品が少なくなったという。テレビ局の経営悪化により制作費も減少している。また制作期間が昔よりも短くなり、出演者もギリギリまで決まらないため、短期間で企画を立てる場合に原作ものは楽なのだとか。また、オリジナル脚本作品で視聴率が取れなかった場合、関係者が背負うリスクも大きいらしい。一度目にしたり耳にしたりという既存原作の方が視聴率が取れ、関係者の不安も軽減、ということなのだろう。また、「言葉狩り」もある様子だ。セリフの中の「中卒」は「高校に行っていない」になり、「床屋さん」「お百姓」はNGなのだとか。どう差別的なのだろう? だがこれも関係者の不安軽減なのだろうか。

また、ドラマの主人公となる世代の変化もある様子だ。最近の若者の傾向として、老後が心配、冒険はせず、野心もなく、傷つくのが怖い男女間心理など。腫れ物に触るのもドラマの面白さのはずが、ターゲットとなる若者が後ろ向きでは作り手が困惑するのは当たり前。

こうした時代だからこそ、この逆境を好機と捉えてドラマ作りに挑むという、井上由美子氏、中園ミホ氏、大石静氏、この3人の脚本家のコメントが新聞に掲載されていた。このドラマ、あのドラマを見たいがために地デジアンテナを取り付けたい、そんなふうに思わせるような番組作りをお願いしたいと思う。