「障碍」使用のすゝめHappyAngrySad

且つては漢字表記だったものがひらがな表記に切り替わっている。そんな文字を新聞記事で見かけるようになった。最近の例でいうと、「障がい」。元は「障害」。「害」の意味があまりにもイメージが悪すぎて、障害者と表記するのは取りやめにしたのだろうか。

確かに「害」は悪い意味しかない。だが、私の中では障害は「障碍」である。心理学の教授が「碍」を使用していた。川の流れの途中に岩があり、それが流れを妨げているのだと。障碍者の人たちはたとえていばその岩を持っているのであり、岩を持たない川とは違った流れになるだけであると。岩のある川を想像してみればわかるように、とても美しい表情を醸し出す川になっていることは間違いない。つまり、個性なのであり、そこに「害」はないのだと。素晴らしい考え方だと感心したものである。

ネット検索をしてみると、障害の害をひらがな表記にした自治体は結構あるようだ。朝日新聞だけではない様子である。だが、その朝日新聞の夕刊の特集に漢字をテーマにしたシリーズがあって、『「碍」の字で社会は変わる』という記事が載っていた。記事によると、「障害」が使われた背景には国の漢字政策があったようだ。敗戦後、膨大な漢字に手を取られていては国の発展は望めないということで、使用を制限した当用漢字表(1850字)ができ、1981年にはその制限を緩めた常用漢字表(1945字)が登場したが、この間にも「害」と「碍」の吟味はなされないままで「障害者」がずっと使用されてきたそうだ。つまり、戦後の発展との引き換えに犠牲となったということだろうか。

だが、吟味をやめ、いきなり削除、ひらがなへ、というのもなんだかいただけない話である。この特集記事に賛同するのなら、よその真似をするのではなく、朝日新聞は率先して「障碍者」を使えばいいのにと感じる。politically correct にしようというものなのか、言葉狩りに屈したのか、残念な気がする。

精神分裂病は統合失調症へ、痴呆症は認知症へ、切り替わった。同様に障害者も障碍者にはできないのだろうか。重箱の隅をつつくなら、「障」という字も「害」に負けず劣らずの悪い意味を持つ。辞書で調べても、邪魔になる、邪魔をする、ふさぐ、妨げをする、など。そうなるといずれは「しょうがい」になるのだろうか。

漢字の文化にもうちょっと誇りを持ち、誤りを正しながらも相応しいものを見つけて行くことが大切な歩みだと思うのは私だけだろうか。以前に読んだ、ある著名な(英語圏の)言語学者のコメントを思い出す。「デモクラシー(democracy)に民主主義という漢字を充当した日本は素晴らしい漢字文化を持っている。英語ではこの一つの単語に意味を持たせなければならないが、民主主義は複数の漢字でその意味を表そうとする。”民”が”主”であることを”主義”とする、これがデモクラシーなのだと改めて気づかされるし、そうあらねばならないと強く感じさせてくれる」

先の教授のように、川の流れにある岩、つまり「碍」のある美しい表情を表す川、これではいけないのだろうか。