”英国病”のニッポンSadFoot in Mouth

初登場のカテゴリ、「日本のゆくえ」。昨年亡くなったジャーナリスト、筑紫哲也氏の著書『この「くに」のゆくえ』を拝借した。好きなジャーナリストの一人であった筑紫氏。講演を拝聴したこともある。朝日新聞記者であった同氏がジャーナリスト人生の後半に選んだのはテレビ。「活字ジャーナリズム」的手法を用いて映像勝負のテレビ界に挑戦し、その可能性を試していた孤高の人。

先の著書名のように、筑紫氏は日本のゆくえをとても案じていた一人である。私もこの「くに」のゆくえが気になる一人である。ジャーナリストとしてというよりも、今回は、保身的な意味合いも込めて気になることを述べたい。

総論としての「日本のゆくえ」は、各論としては「日本の経済」、「日本の政治」、「日本の若者」である。

現在の日本は、かつての「英国病」のような様相を呈している気がする。英国病スタートのきっかけとなった1960年代、そして70年代後半から80年代が最も深刻だったと学んだように記憶している。暗く陰鬱な経済状況は、曇り空の多い英国と重ね合わせて表現されることもしばしばだった。

「経済不況」と言っても、当時の英国と現在の日本では取り巻く環境も異なる。経済状況とは、多くの要素が絡み合う事で起こるその結果に過ぎない。その要素は歯車のようなもの。経済状況の牽引役である歯車は決して1つや2つではない。おびただしい数の歯車が経済を左右する。かつて恩師が、経済学の理論ほどすぐに錆び付く理論はないと言ったことがある。確かにそうだ。世の中は動いている。政治や他国、ヒト、モノ、カネ、代表的な歯車は少ないが、それらの下にはネズミ講のように数えきれない歯車がぶら下がっている。そしてそれらは膨大であるだけでなく、動き、変化し、増減する。その複雑な絡みの順列組み合わせをどう一つの理論にしようというのか。だから、経済学者たちが互いの理論に異議を唱える場面を見ると、子供同士の喧嘩のようであると呆れ返る反面、それぞれに「一理あり」と感じてしまう所以なのだろう。

日本もかつての英国のように暗く長いトンネルに入ってしまったのだろうか。確かに東京も今ひとつ活気がないように感じられる。人々の背中もなんとなく丸まり、地面を見て歩いている感じがある。新聞を見ると、中国がアメリカを抜いて新車販売世界一に躍り出たとある。GDP(国内総生産)でも2位の日本を追い抜く勢い。ある中国大手企業の社長は「小売業の技は日本が師」だと、追い討ちをかけるような余裕も見せる。英国病の時代、日本は逆に経済進展の真っ只中だった。現在の日本が中国を見る感覚、かつての英国が日本を見る感覚、これらには何か共通のものがあるのだろうか。

一方の政治はというと、「マネー問題」で野党が与党を吊るし上げる、という論法はいまだに呆れ返るほどに”健在”である。人々が清廉潔白な政治家を期待しているとは思えない。もちろんそれが理想であったとしても、政治家に求めるのは、とにかくこの日本経済の立て直しであろう。マネー問題追求の茶番劇は見飽きている市民感情に気づかず、来る日も来る日も”会見”し続ける日本の政治家たち。日本の未来の危うさは、こうした政治家たちの責任でもある。

暗く長いトンネルを抜け出す手がかりは、簡単に言ってしまえば老若男女を問わず「個々の努力」だろう。だが、今後10年、20年先の日本を考えると、将来は日本を率いていく”はず”の、現在の若者たち、彼ら、彼女らが手がかりなのだ。私的な利害で言うならば、私が年老いた時、楽しい老後を迎えているだろうか。日本の老人福祉は申し分のない状況になっているだろうか。

老後を考えると、現在の若者たちがカギになる。だが、「失われた10年」「平成の大不況」、これらをまともに浴びてしまった若者たち。それだけが原因ではないのだろうが、「草食系男子」という言葉まで出た。ある男性に言わせると、「草食系女子」も増大しているのだとか。解釈の仕方は色々あるだろうが、一人暮らしはお金がかかるからと親元から離れずパラサイトし、結婚して家族を養うことなど無理だから彼氏や彼女を積極的につくることをしない、人と飲んだり話したりということに「利益」を感じないからなるべく家に居る、などなど。「婚活」という言葉に現れるほどに結婚願望が強い若者がいる反面、こうした「人との触れ合い」を避けるようにしている若者もいるということだろうか。両者の比率はよくわからない。また、ネガティブに捉えた草食系の若者はあくまでも若者たちの中のほんの一部であり、多数派はそうではないのだと願いたいし信じたい。