失敗を恐れず、失敗しても前向きに


10年12月09日:木 :"なんだかんだ":教訓に

ここ何年も言われていることに、「子供たちが危ない」がある。いじめ、殺人など、”大人なみ”の凶悪事件は後を絶たない。世の中が悪い、いや親が悪い、学校が悪い、などなと批難の矛先はそれぞれの罪のなすり合いに転じる。
だが一方、特に教育ママ・パパに育てられたわけでもないのに、ごく普通に学校生活を終え、自分を見つめて将来像を描き、ごく普通の暮らしをする若者たちも多い。凶悪事件を起こす子供達よりもこちらの方がもっとずっと数は多いのだ。
また、中には幼少時からしっかりと自らの未来を見つめる子供もいる。16歳の最年少で公認会計士試験に合格した高校生もいる。新しい分野は苦手だと言い切る彼は、数字大好きっ子でコツコツ派を自認。最年少合格のための勉強時間を捻出するため、高校は通学ではなく通信制にしたぐらいの念の入れようだ。
はてさて、危ない子供達、という事実の側面なり奥底に広がっているのは、もしかしたら「危ない大人達」なのではないか。30代から60代ぐらいまでの”大人たち”と話す機会が多い私。その対話の中で感じるのは、危ないというより「もろい」と言った方がいいかもしれない。宅配便のワレモノに貼る「fragile」よろしく、「壊れ易い大人たち」が増えているような気がする。
「壊れ易い人」と「壊れにくい人」、両者の差は何か。敢えてビジネスの場面に当てはめるならば、「壊れ易い人=失敗を恐れる人」、「壊れにくい人=失敗を恐れない人」と言える。
心理学者バーナード・ワイナー (Bernard Weiner)が提唱する「達成動機付けの帰属理論」は、まさに上記の二者を表したようなセオリだ。
「成功をしようとする行動」と「失敗を避けようとする行動」、人は通常この反発する2つの行動を持つ。ワイナーは、成功と失敗の因果関係の要素を、「能力」「努力」「課題の難易度」「運」の4つで示した。
成功志向の強い人は明らかに前者で、失敗を恐れず、成功すれば自分の努力を褒め、失敗したとしても努力が足りなかったのだと即座に反省する。自分の能力にあった課題を選び、運に頼らず突き進む。
一方、失敗を回避しようとするタイプの後者は、成功してもそれを自分の努力というよりは運が良かったのだぐらいに止めて成功の分析をせず、失敗した場合は因果関係を自分の先天的な能力不足にもっていく。失敗後に自己責任が問われることを回避する傾向があるため、無難な課題を選ぶ。あるいは失敗しても言い訳が通るからということで超難易度の高い課題に挑戦することもある。
東京で時々カウンセリングのようなことを行っているが、「自分がよくわかっていない」というようなタイプの”大人たち”に出会うことが多くなった。自分の力量、つまり能力を見極めることもできない大人が、理想ばかりを述べ、転職を望む。望む職は自分の能力に見合ったものではなく、あるいはやってみたいからというよりも失敗を避けるための無難な選択なのだ。年齢を聞くと30代。時には20代も。なんともネガティブなモチベーションをこの若さにして持っている、ということに驚く。
かつてはその彼らも「普通の子供」だった。先の最年少公認会計士試験合格のような「神童」を目指す必要はない。でも、普通に、ごく普通に「大人への階段」をのぼる際、何かが、何かが崩れ、「普通の大人」には違いないけど、「ネガティブな普通の大人」になってしまったのだろうか。こういう大人たちが作る空気こそ子供達に悪影響であると感じる。