これこそ、はまり役


09年12月07日:月 :"なんだかんだ":映画好き
色々な役に挑戦し、その役を演じきる、これが俳優の務めなのだが、どの映画を見てもその役柄がピンと来ない、演技が下手なわけではない(時にはそういう俳優もいるが)のに心にしっくり感が届いてこない、こうした俳優がいる。
私にとってはその一人がトム・クルーズである。
『トップガン』『M : i シリーズ』『コラテラル』『バニラ・スカイ』などなど、高い興行収益を誇るトム・クルーズ。ショービジネス界で活躍した人の名が彫られる「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」にも殿堂入りを果たし、揺るぎのない人気を博する俳優ではあるのだが、私には上記のどの映画を見てもトム・クルーズ”らしさ”を感じなかった。
だが反面、俳優にはそれぞれ「適役」なり「はまり役」というものがあるように感じる。
トム・クルーズにとってのそれは、『マグノリア』だと確信する。
1999年製作、189分という長時間映画。脚本、監督、俳優の演技、どれをとっても素晴らしい作品に仕上がっていると思う。監督はポール・トーマス・アンダーソン。
189分という長い時間をかけて、とある一日、たった一日だけを描いた映画である。一つのテレビ番組を取り巻く数家族、計10数人が織り成す群像劇だ。
(1)人気長寿チビッ子クイズ番組の司会者を長い間努めている中年男性(フィリップ・ベイカー・ホール)とドラッグに溺れるその娘(メローラ・ウォルターズ)との確執。
(2)ひょんなきっかけでその司会者の娘と知り合い恋に落ちる警官(ジョン・C・ライリー)。
(3)子供時代にその番組で子供チャンピオンになり、その名声を利用して職に就いた、今や中年となった男性だが、才能はクイズだけで、仕事では失敗の連続を繰り返し、ボスからクビを宣告され、一方では行きつけのバーのバーテンに恋をするゲイでもある彼(ウイリアム・H・メイシー)。
(4)現在のそのクイズ番組でちびっ子チャンピオンとなった子供と、完全に「ステージパパ」と化したその子の父親。その親子の確執。
(5)そのテレビ番組の制作者であり末期癌の男性(ジェーソン・ロバーズ)。若い頃、病気の妻と幼い息子を捨ててしまったことを悔い、死を目前にした今、その息子に一目会いたいと願い、男性の看護士(フィリップ・シーモア・ホフマン)に依頼する。結婚当時は財産目当てだったが、臨終の床にある夫に今ようやく愛を感じ、過去を悔いる妻(ジュリアン・ムーア)。
そして、その末期癌男性の息子がトム・クルーズ。幼いながらも病に伏せる母親の面倒を見、最期を看取った彼。彼は自分たちを捨てた父親を憎み続けながら大人になる。
大人になった彼が得た職業は「女性ナンパの伝道師」といったことろ。その道ではかなり有名な様子で、ホールを借りてナンパ・セミナーを行う。女性をモノにしたい男性で客席はぎっしりと溢れかえる。
彼がセミナーのステージに登場するシーンを見て、あ、これは、トム・クルーズのはまり役だと直感した。登場の際の音楽は、映画『2001年宇宙の旅』のあの有名なサントラ。そのサントラでジャジャーンと登場する大袈裟加減もいい。そしてスポットライトが少しずつ彼を照らし、ステージに登場した彼が会場に向けて開口一番に叫ぶセリフがなんと、「Respect the “c”, tame the “c”」。ご自身の「C」に両手を添えるようにしながらそのセリフを叫ぶのです(笑)(笑)(笑)。本当に、マジで笑いました。「””」で括った単語はおわかりになりますよね。
ステージの背後にある大きな垂れ幕には、『SEDUCE and DESTROY』が。「誘惑し、ねじ伏せろ」が訳(笑)。
笑える場面も含め、実際はとてもシリアスな気持ちで見る映画。
母と自分を捨てた父親、こうした体験は、捨てた側の性である「男性」に対し嫌悪を抱き、「女性」側に対する同情心、これが通常の心理だが、彼はその真逆とも言えるようなビジネスで成功を収めている。だが、彼の心の奥底に流れる父親への思慕の情、この複雑にねじれた深層心理とも言うべき彼の心情を描くに際しては、却ってこの真逆さが巧みなコントラストとなり、父親への強い愛を紡ぎ出す役目を果たす。
何十年ぶりの父との再会。意識朦朧の父に向き、恨み辛み、罵倒の限りの言葉を吐きつつ、だがそれが次第に揺らいでくる。何故なら彼は父親をずっと愛し続けてきたからだ。罵倒しながらその思いに気づく。そして、積年の願いであった父との再会の喜び、父への愛が嗚咽とともに噴き出してくる。ようやくの再会にもかかわらず、父と過ごす時間はわずか。嗚咽は、この皮肉な運命に対する憤懣の吐露でもあり、もっと早く再会すべきであったという後悔の念、自責の念の現れでもあっただろう。父を罵倒しながら、彼は自分をも罵っていたのだと思う。
この映画は、皆本当に素晴らしい演技で魅了してくれた。どこまでもドジな役を演じるウイリアム・H・メイシー、感情の起伏が激しい役のジュリアン・ムーアも見どころだ。
そして、心優しい看護士の役柄を見事に演じきったフィリップ・シーモア・ホフマンも最高である。主演男優賞オスカーを受賞した『カポーティ』を除けば、どちらかというと、いけ好かない生意気な高校生役、大人になった今でも少々毒舌で辛辣な皮肉屋といった役どころが多い彼。つまり、演技派だということなのだろうが、彼は徹頭徹尾、暖かく柔らかな心を持った看護士だった。
意外なはまり役は、メローラ・ウォルターズ。他のどの映画を見てもただ脇役、ちょい役でしかなく、あまり記憶に残らない彼女だが、この映画では光る演技を見せてくれた。精神的に少々不安定さを感じさせるちょっと危なげな役どころが巧い。ドラッグに溺れる彼女が警官から交際を申し込まれるのも、ヘンだが面白い。
私にとってはその一人がトム・クルーズである。
『トップガン』『M : i シリーズ』『コラテラル』『バニラ・スカイ』などなど、高い興行収益を誇るトム・クルーズ。ショービジネス界で活躍した人の名が彫られる「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」にも殿堂入りを果たし、揺るぎのない人気を博する俳優ではあるのだが、私には上記のどの映画を見てもトム・クルーズ”らしさ”を感じなかった。
だが反面、俳優にはそれぞれ「適役」なり「はまり役」というものがあるように感じる。
トム・クルーズにとってのそれは、『マグノリア』だと確信する。
1999年製作、189分という長時間映画。脚本、監督、俳優の演技、どれをとっても素晴らしい作品に仕上がっていると思う。監督はポール・トーマス・アンダーソン。
189分という長い時間をかけて、とある一日、たった一日だけを描いた映画である。一つのテレビ番組を取り巻く数家族、計10数人が織り成す群像劇だ。
(1)人気長寿チビッ子クイズ番組の司会者を長い間努めている中年男性(フィリップ・ベイカー・ホール)とドラッグに溺れるその娘(メローラ・ウォルターズ)との確執。
(2)ひょんなきっかけでその司会者の娘と知り合い恋に落ちる警官(ジョン・C・ライリー)。
(3)子供時代にその番組で子供チャンピオンになり、その名声を利用して職に就いた、今や中年となった男性だが、才能はクイズだけで、仕事では失敗の連続を繰り返し、ボスからクビを宣告され、一方では行きつけのバーのバーテンに恋をするゲイでもある彼(ウイリアム・H・メイシー)。
(4)現在のそのクイズ番組でちびっ子チャンピオンとなった子供と、完全に「ステージパパ」と化したその子の父親。その親子の確執。
(5)そのテレビ番組の制作者であり末期癌の男性(ジェーソン・ロバーズ)。若い頃、病気の妻と幼い息子を捨ててしまったことを悔い、死を目前にした今、その息子に一目会いたいと願い、男性の看護士(フィリップ・シーモア・ホフマン)に依頼する。結婚当時は財産目当てだったが、臨終の床にある夫に今ようやく愛を感じ、過去を悔いる妻(ジュリアン・ムーア)。
そして、その末期癌男性の息子がトム・クルーズ。幼いながらも病に伏せる母親の面倒を見、最期を看取った彼。彼は自分たちを捨てた父親を憎み続けながら大人になる。
大人になった彼が得た職業は「女性ナンパの伝道師」といったことろ。その道ではかなり有名な様子で、ホールを借りてナンパ・セミナーを行う。女性をモノにしたい男性で客席はぎっしりと溢れかえる。
彼がセミナーのステージに登場するシーンを見て、あ、これは、トム・クルーズのはまり役だと直感した。登場の際の音楽は、映画『2001年宇宙の旅』のあの有名なサントラ。そのサントラでジャジャーンと登場する大袈裟加減もいい。そしてスポットライトが少しずつ彼を照らし、ステージに登場した彼が会場に向けて開口一番に叫ぶセリフがなんと、「Respect the “c”, tame the “c”」。ご自身の「C」に両手を添えるようにしながらそのセリフを叫ぶのです(笑)(笑)(笑)。本当に、マジで笑いました。「””」で括った単語はおわかりになりますよね。
ステージの背後にある大きな垂れ幕には、『SEDUCE and DESTROY』が。「誘惑し、ねじ伏せろ」が訳(笑)。
笑える場面も含め、実際はとてもシリアスな気持ちで見る映画。
母と自分を捨てた父親、こうした体験は、捨てた側の性である「男性」に対し嫌悪を抱き、「女性」側に対する同情心、これが通常の心理だが、彼はその真逆とも言えるようなビジネスで成功を収めている。だが、彼の心の奥底に流れる父親への思慕の情、この複雑にねじれた深層心理とも言うべき彼の心情を描くに際しては、却ってこの真逆さが巧みなコントラストとなり、父親への強い愛を紡ぎ出す役目を果たす。
何十年ぶりの父との再会。意識朦朧の父に向き、恨み辛み、罵倒の限りの言葉を吐きつつ、だがそれが次第に揺らいでくる。何故なら彼は父親をずっと愛し続けてきたからだ。罵倒しながらその思いに気づく。そして、積年の願いであった父との再会の喜び、父への愛が嗚咽とともに噴き出してくる。ようやくの再会にもかかわらず、父と過ごす時間はわずか。嗚咽は、この皮肉な運命に対する憤懣の吐露でもあり、もっと早く再会すべきであったという後悔の念、自責の念の現れでもあっただろう。父を罵倒しながら、彼は自分をも罵っていたのだと思う。
この映画は、皆本当に素晴らしい演技で魅了してくれた。どこまでもドジな役を演じるウイリアム・H・メイシー、感情の起伏が激しい役のジュリアン・ムーアも見どころだ。
そして、心優しい看護士の役柄を見事に演じきったフィリップ・シーモア・ホフマンも最高である。主演男優賞オスカーを受賞した『カポーティ』を除けば、どちらかというと、いけ好かない生意気な高校生役、大人になった今でも少々毒舌で辛辣な皮肉屋といった役どころが多い彼。つまり、演技派だということなのだろうが、彼は徹頭徹尾、暖かく柔らかな心を持った看護士だった。
意外なはまり役は、メローラ・ウォルターズ。他のどの映画を見てもただ脇役、ちょい役でしかなく、あまり記憶に残らない彼女だが、この映画では光る演技を見せてくれた。精神的に少々不安定さを感じさせるちょっと危なげな役どころが巧い。ドラッグに溺れる彼女が警官から交際を申し込まれるのも、ヘンだが面白い。